春を追いかけて。(完全版)

VOL.82

春を追いかけて。(完全版)

それは、2017年の4月のことでした。東京・上野恩寵公園から春を追いかけて北上する。桜はもちろん、各地の風情や人々で出逢いまくる。「アウトドア誌上体感マガジン」がコンセプトのPAPER LOGOSというフリーペーパーでの企画だったのですが、限られた誌面では紹介できないことがたくさんあったのでした。そこで、完全版。なかなか桜に出逢えず焦った山形県から、ガス欠間近で恐る恐る車を走らせた青森県まで。いざ、春を追いかけます。

撮影/関 暁   取材・文/唐澤和也

01なぜか山形へ。

さてさて4月20
「なんで35日間
LOGOSの姉妹ブラ
当初の目的地は秋田県でした。ところが事前リサーチをしていた「桜が美しい(はずの)キャンプ場」は桜など1本もなく「ざっぱーん」と日本海の荒波の音が聞こえるばかり。さぁ、どうする? 動きました。そして、出逢いました。馬渡の桜(写真)と粋でやさしい山形の人々に。

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02そして青森へ。

4月28日、青森
LOGOSアイテムが
山形編で「学習した」編集部は、無理に桜を追いかけるのをやめました。そして、思い出したのです。「Enjoy Outing!」というLOGOSの合言葉を。気温5度と冷え込んだ日本海沿いのキャンプも、ガス欠に怯えながらのドライブもすべてが名場面となったのでした。

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03

 旅のはじまりは、火サスだった。
 春を追いかけるのなら桜でしょと「お花見キャンプ」ができるキャンプ場を秋田県で探しておいたはずなのに、たどり着いたその場所には桜の木どころか花びら1枚すら舞っていない。すぐ近くで「ざっぱーん!」と日本海の波の音がする。この場所に名優たちが立ちさえすれば『火曜サスペンス劇場』、通称火サスである。いまにも事件が起きそうだったのは、4月20日のことだった。
 いや、すでに事件は起きていた。
 事前にキャンプ場への撮影許可は済ませていて「桜は見頃ですかね?」「はい。いい頃合いですよ」なんてやりとりも交わしていたのに「ざっぱーん!」って。おそらく担当の方はそのキャンプ場ではなく、近くにある公園の桜の開花情報を教えてくれたのだろう。まぁ、キャンプ場は火サス状態でも桜さえあればいいやと公園に行くと、肝心の桜は半裸状態。前夜の強風で、ちょうど満開だった桜が散ってしまっていた。
 どうする? 俺たち?
 この手のピンチで頼りになるのは、グーグル先生(マップ)だ。秋田県で一番早く桜が開花する勢至公園がヒットし、車を走らせた。
 だが、しかしである。
 勢至公園でタコ焼きを売っていたおばちゃんが寂しそうにこぼす。
「誰も来ね」
 昨日の強風は、勢至公園の見事な桜もすでに吹雪かせてしまっていた。お目当ての花見客がまったく現れず、おばちゃんも途方に暮れている。
 どうする? どうする? 俺たち?
 タコ焼きを1箱買い、おばちゃんに近隣の桜情報を聞くも、秋田県内の桜の名所は早すぎたり遅すぎたりとどうにもタイミングが悪い。
 こんな時はデジタルではなくアナログ、別名野生の勘に限る。  
 そうだ山形、行こう。
 日本海沿いだった秋田県の目的地よりも、山側に位置する山形県の鶴岡公園ならば桜もいい感じかもしれない。車で約1時間半と移動距離もさほどでもない。
 というわけで、いざ、山形へ。
 順調に鶴岡公園へと到着すると人が行き交っていて、ほっとする。ドライブ中は、歩いている人がほとんどいなかったのだ。なのに鶴岡公園には屋台が立ち並び、大勢の人でにぎわっている。桜はと視線を上げると満開だった。
 春という季節に桜が咲き誇る姿を待ちわびる人は多いだろうが、鶴岡公園のピンクの花を目にした時の我々ほどに感動した者はいなかったはずだ。有難い。ひらがなではなく漢字でそう思う。
 公園内を歩いてみると、授業が終わったのか学生服姿の花見客も多い。城下町特有のほのぼのした雰囲気が心地よい。
 鶴岡名物のきんつま焼きを出店していた屋台のおじさんが言う。
「春が来たなぁと感じるのは、いまだね。お店を出してる時に、やっぱり春を感じるよ。でもさ、年間で35日しかお店を出してないからこれだけじゃ食えない。本業は自転車屋さん。なんでやってるかって? この味を待ってくれてる人がいるからじゃん」
 おじさんが「お金じゃ買えない」と胸を張るその出汁は、クロダイの稚魚を自分で釣ってきて作るのだそう。その日の気温は9℃と肌寒かったけれど、できたて熱々のきんつまで身も心もあたたまる。


 夜は湯田川温泉へ。
 人と同じで街にも相性というものがある。鶴岡という街が気に入ってしまった我々は、翌日も鶴岡で春を探すことにしたのだ。あてはなかった。適当にもほどがあるけど、このぶらり感が、ある出逢いを呼び込むことになる。
 急遽予約した温泉宿は、宿泊は可能だが、いまからだと夕食が準備できないと言う。だったら晩ごはんは外でと温泉街を散策して、「焼き鳥居酒屋ひで」という雰囲気のよさげなお店を選ぶ。大将も女将さんも看板娘のふうちゃんも気さくな人たちで、春を追いかける企画の参考になればと地元の桜スポットを一緒に考えてくれたりした。
 そこにひとりの男が現れる。
「はい。私が鶴岡市長です」
 実際はそんなことは言っていなかったけれど、まるで志村けんさんのあのフレーズのような軽やかさで鶴岡市長の榎本政規さんが現れたのだ。そこから先のことはよく覚えていない。市長の友人たちと酒席となったからだ。
 翌朝は6時ぐらいの電話で起こされた。こんなに朝早くから誰だよと二日酔いの頭を抱えながら電話に出ると、貫禄のある声の主がこんなことを言う。
「桜守の佐藤さん、大丈夫だから」
 一瞬にして記憶が巻き戻る。お酒の勢いを借りた昨晩の僕は、地元の桜守の方を紹介してもらえないかとダメ元でお願いしていたのだ。「だったら佐藤さんがいい。俺が明日連絡してみる」と押井さんという方が快諾してくれ、この日の早朝から桜守の方の予定を調整してくれたのだ。
「有難うございます」
 僕は電話口で深く頭をさげた。その場のノリで済ませてもよかったはずなのに、押井さんは労を惜しまず早朝から動いてくれた。
「なんもない。縁だから」
 押井さんは、恩着せがましく言葉を続けることもなく、あっさりと電話を切った。なんもないとは、この地方の方言なのだろう。前後の文脈から「そんなこと気にするな」と受け取れて、ぐっとくる。
 さらに、もう一本の電話が鳴る。市長のスタッフからだった。
 同じく昨夜の酒席でのこと。日中に見かけた高校の弓道部の生徒たちが凛としていて春を感じたので、なんとか取材できないかとこちらもダメ元でお願いしていた。「残念ながら今日の今日では無理でした」と電話の向こうで申し訳なさそうな声がする。市長もまた忙しい公務のなか、取材ができるように動いてくれていた。僕はもう一度、頭をさげた。
 さて、桜守である。
 桜守という言葉の解釈には諸説あって、樹木医の資格を持っていて桜をケアする人という説や、自称ではなく他薦だとする解釈などがある。
 その伝によれば、佐藤功さんは、後者の桜守ということになる。本人は「桜に好かれちゃっただけ」と謙遜するが、2011年から、ボランティアでこの町の桜を守り続けている。それはもう見事だった馬渡の桜もそうで、佐藤さんと出逢えなかったのなら山形編を代表する一枚を撮影することは叶わなかった。佐藤さんの話では、日本の花見の名所のほとんどが、市民のボランティアで維持されているらしい。
 そう言えばと、僕は故郷のことを思い出す。
 100世帯以上が住まう平屋の県営住宅だった。昔で言えば貧乏長屋的集落だったが、のべ7個あった小さな公園のうち、僕の家の前にあったB棟用の公園だけに桜が植えられていた。県営住宅なので行政の仕事だったかもしれないが、1本だけという不公平さが県っぽくない。中学生の頃、父親にその疑問をぶつけると「俺が植えた」と言う。そういうことで冗談を言うタイプではないからなんとなく納得してしまったけれど、なぜ、親父は桜を植えようと思ったのだろう。そして、目の前の春を追いかけていたはずなのに、過去の思い出をさかのぼっているのが不思議だった。
 こうして山形編は幕を閉じる。


 さて、青森編である。
 2度目の追いかける春は、のんびりいくと決めていた。
 桜という生き物の摂理を、自分たちの都合に合わせることの無意味さを山形編で痛感させられていたからだ。再開の時は4月28日、GWのさなかである。
 まず訪ねたのは、弘前公園。
 実は、この企画のはじまりは東京・上野公園からで、その時に出逢った建築関係のお花見部長が、五所川原出身の方だった。東京から春を追いかけて北上することは決めていたけれど、五所川原は候補にあがっておらず、部長の話に聞き入ってしまう。部長は「でもやっぱり、青森の春は弘前公園に限るよ。上野の桜もすごいけど、弘前は別格だな。へば!」と右手を上げた。最後の「へば!」は「さよなら」という意味らしく、話はもういいでしょ、そろそろ飲ませてよということらしかった。
 へば、弘前公園へ。
 同公園内には2600本もの桜があり、100年を超すソメイヨシノが約400本もある。1882年に植栽された「日本最古のソメイヨシノ」を筆頭に、この品種の古木がたくさん残っているのが弘前公園の特長だ。ちなみに、「へば!」には、「そうすれば」的な意味合いも含まれるので、「へば、弘前公園へ」は文法的には間違ってはいないらしい。
 それにしてもなぜ、急に桜&津軽弁のまめ知識が増えたのかと言うと、同公園の桜守である橋場真紀子さんがガイドしてくれたからだ。橋場さんは樹木医の資格を持っており、弘前市公園緑地課の職員でもある。
 地元の言葉で語る橋場さんの話はいちいちおもしろかったが、とくに印象深かったことがふたつある。
 ひとつは、ソメイヨシノが弱くて強い品種だということ。剪定箇所から腐りやすい点や病気には弱いけれど、腐ったところに不定根という新たな組織を伸ばして生きようとする強さもある。弱くて強い。だからソメイヨシノは美しいのかもしれない。  
 もうひとつ強く心に残ったのは、橋場さんの仕事観。
「毎年立派な花を咲かせることが大切だと思っているんです。津軽地方の方であれば一度はこの公園を訪れてくださって、なにかしらの思い出をみなさんがお持ちなんですね。昨年だったかな。高齢のおばあちゃんがふらふら歩いていたもんでね。大丈夫ですかと声をかけたら、最古のソメイヨシノがどうしても見たいって。旦那さんがなくなってね。それまで一緒に見てたからひとりでもやっぱりって。ここには約2600本の桜があるんですけど、誰がどの桜を自分の桜だと思っているのかわからない。手が抜けないです。でも、だからこそね、毎年毎年必ず立派な花を咲かせれば、みんなの思い出もつながっていくのかなぁと非常に思うんですよ」
 旅のスピードをゆるめたのが功を奏したのか、青森という県そのものと相性がよかったのか。青森編は順調だった。日本海キャンプも、五所川原の鉄道から見た桜や生で聞いた津軽三味線の音色も、世界遺産白神山地の残雪トレッキングや南部町という小さな町の春祭りも、本州最北端の「マグロ丼」を目指した帰り道でなかなかガソリンスタンドが見つからずガス欠寸前だったことも、すべてが名場面として心に刻み込まれた。
 旅が終わり東京に戻ると、久しぶりに父親へ電話をかけてみた。
 あの県営住宅B棟の公園に桜の木を植えた理由が気になったからだ。
「桜? 誰が?」
 驚くべきことに、桜を植えたことなど、父の記憶から消されていた。しかも、春や桜もとくに好きなわけじゃなく、語るべき思い出も別にないと言う。春もドラマチックなエピソードも、追いかけると逃げていくのかもしれない。
 あきらめて母に代わってもらうと、この春、父が表彰されたことを自分のことのように喜んでいた。ボランティアで陸上の審判を長年続けてきたことが認められたのだと言う。
 表彰状とともに贈られてきた副賞は、桜を型どったバッチだったそうだ。


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